part1   イスラム教の始まり〜正統カリフ時代
part2  ウマイヤ朝〜アッバース朝
part3  各地で生まれる地方政権
part4  モンゴル帝国の侵攻とマムルーク朝
part5  オスマン帝国のはじまり
part6  ヨーロッパの反撃
part7  北方で生まれる大国とオスマン帝国の衰退
part8  ムガル帝国の衰退と東南アジアでのイスラム教
part9  アジアを狙う欧州諸国
part10 ナポレオンの東方遠征
part11 エジプトのムハンマド・アリー
part12 オスマン帝国の改革とイスラームの危機
part13 中央アジアを巡る英露のクレートゲームのはじまり
part15 アフガーニーの説くイスラーム復興
part16 存在感を増す新興国たち
part17 第一次世界大戦とオスマン帝国の滅亡
part18 イギリスの三枚舌外交


中東の黒き黄金とイラン


538:  2014/08/18(月)23:16:26 ID:fDAWdE8bk
ところで、ここで唐突に太古の昔に話が飛ぶ。


およそ2億年前、地球上にはただひとつの大陸「パンゲア」だけがあった。

やがて超大陸パンゲアは南北に分裂をはじめ、北のローラシア大陸と南のゴンドワナ大陸に分かれる。

2つの巨大な大陸のあいだには「テチス海」と呼ばれる浅い海が生まれた。

テチス海は熱帯の暖かな内海で、何千万年ものあいだ両岸に多くの巨木が繁茂し、時を経て泥沼のなかに倒壊し、やがて地下深くで膨大な圧力を受けて変質していく。

地上では大陸の集合離散が続き、テチス海は再び南北から狭まり始める。

やがて「ユーラシア」と呼ばれる大陸が輪郭を現し、テチス海はいくつかの痕跡、地中海、カスピ海、アラル海などを残して消滅した。

かつてテチス海であったユーラシア大陸西部の地下深くでは、太古の巨木がなおも変質に変質を続け、やがて黒くて粘っこくて、やたら可燃性の高い謎の物体と化す。

変質し過ぎだろう。


この謎の物体は稀に地上に露出していることもあり、それなりに古い時代の人々にも知られていたのだが、臭いし火事の元になるし、大した利用価値もないので、誰もあまり興味を持っていなかった。



ところが近代を迎え、産業革命の時代になると「火力」の重要性が高まる。

ここに至って、黒くて粘っこい物体はにわかに注目を浴び始める。


そして19世紀の終わりごろ。

カフカス山脈からイラン高原西部にかけて、地下を掘っていくと黒くて粘っこい物体に行き当たる可能性が高いことが分かってくる。

英国は艦隊と自動車の燃料としてこの物体に着目した。


そんなわけで、1901年。

利権大売出しをはじめたガージャール朝ペルシアは、とあるイギリス人にイラン南部で油田の掘削権を叩き売る。

1909年、アングロ・ペルシアン石油会社設立。


中東の黒き黄金、石油の世紀が開幕する。

548:  2014/08/20(水)23:07:15 ID:iOIm0Uii0

石油の登場により、英露両国はますます露骨にガージャール朝に介入するようになる。


日露戦争とロシア公使のコスプレに触発されてイラン立憲革命が勃発したあと、束の間開催された議会は
「モルガン・シャスター」というアメリカの弁護士を財政顧問として招請した。

なんで銀行家ではなく弁護士を財政顧問にしたのか甚だ疑問であるが、彼は驚異の人だった。

第一の驚き。彼は真面目。
第二の驚き。彼は有能。
そして最大の驚き。彼は一時的にイラン財政を立て直した。

英露両国はこれが非常に気に入らず、やがてロシアが圧力をかけてモルガン・シャスターを罷免させる。

こうしてガージャール朝の終わりが始まった。



南北から堂々と国境を踏み越えてくる英露両国。

タバコ・ボイコット運動あたりから失墜し続けていた王朝の権威は全く地を掃い、各地の地方豪族が勝手に縄張りを作って独立宣言を乱発する。


その混乱の中から「レザー・シャー」という軍人が台頭する。

彼はたった2500人の兵士を率いて1921年に王都テヘランを乗っ取り、軍制改革を断行。

各地の豪族たちを平定し、1924年にはペルシア全土を乗っ取った。

ガージャール朝の時代は終わり、イラン最後の王朝、パフラヴィー朝の時代が始まる。

Rezashah
レザー・シャー
photo credit 

549:  2014/08/20(水)23:28:03 ID:iOIm0Uii0
レザー・シャーが2500人で王都を乗っ取ったのはもちろん、彼がナポレオンだからではなく、彼の背後に大正義大英帝国のバックアップがついていたからである。

ところがレザーはそこそこ食わせ物で、英国を利用するだけ利用した後に裏切って、強引に治外法権を撤廃させた。

この男、そこそこ有能である。

レザー・シャーは長らく大きな力を持ってきたシーア派法学者たちの力を削ぐことが近代化の要諦と看破し、硬軟二つの方策を取った。

ひとつは宗教裁判所の廃止や近代的教育機関の整備を通して、直接法学者たちの影響力を削ること。

もうひとつは、イスラーム化以前のイラン文化を称揚すること。


最も象徴的なのは、他ならぬこの「イラン」という国号である。

「イラン」というのは「アーリア」が変化したもので、「高貴な国」を意味する。

古来一貫してイラン高原の人々は自分たちの国や自分たち自身を「エーラーン」とか「イーラーン」と称してきたのだが近世以降に姿を現したヨーロッパ人たちは、古代ギリシア風にイランのことを「ペルシア」と呼んだ。

イラン固有の文化の復興を掲げるレザー・シャーは自国が「ペルシア」と呼ばれるのが気に入らず、「うちはペルシアやない、イランや!」としつこく触れ回ったので、ヨーロッパでも次第に「イラン」という味気ない国名が定着した。

イスラームの相対化といい、民族文化の復興といい、要するに彼はケマル・アタテュルクの亜流だった。

だが残念ながら、イランはトルコよりも複雑で、レザーはケマルよりも能力不足だった。

彼の運命は次第に暗転する。


レザー・シャーは王権の裏付けとして軍事力を重視し、徴兵制を施行。

いちおう議会は設置したものの、実際には軍を頼って議会の存在など頭から無視した。

アタテュルクのように何でも自分で指導しなければ国は変わらないと思っていたのだろう。

軍国主義が大好きなレザー・シャーは、第二次世界大戦が始まるとナチス・ドイツに傾倒した。

これが英露、じゃなかった英ソの懸念を引き起こし、1941年に両国が南北から強引に進駐。

このアタテュルクもどきを玉座から引きずり下ろしたのだった。


イラン近現代は何をやってもうまくいかない。

550: 名無しさん@おーぷん 2014/08/20(水)23:32:59 ID:q90PgpS37
イラン:腐ってる

551:  2014/08/20(水)23:50:55 ID:iOIm0Uii0
英ソのイラン進駐は何よりも石油油田を確保するためだった。

イギリスはアングロ・イラニアン石油会社(もともと「アングロ・ペルシア石油会社」だったけど、レザー・シャーのクレームにより社名変更済み)の油田掘削設備を増設しまくり、ソ連もいそいそとアゼルバイジャンの油田を押さえ、北部イランの油田利権も要求した。

強権をふるったレザー・シャーは別に臣民に慕われていたわけではないが、さすがに王朝初代が外国の軍事介入によって強制退位させられるなんてのはヘタレにも程がある。どうにかせんと。

ところで、その外国は口を開けば油田油田と言っている。油田ってそんなに大切か。

ここでイランにとっての油田の存在意義を考えてみる。


レザー・シャーはアングロ・イラニアン石油会社が一文も払わずに石油を吸い取りまくっているのに腹を立て、1933年に英国と石油協定を結んだ。

しかしレザー・シャーは軍人であって官僚や外交官ではなく、しかも同じ軍人出身のケマル・アタテュルクよりも短気で彼ほど頭も良くなかったので、交渉では大英帝国に手玉に取られた。


「しょうがないな。1バレルあたり3シリング払うよ」

「なんだと、もっと値上げしろ」

「わかったわかった、4シリングで手を打とう」

「よかろう。誤魔化したら容赦せんぞ」


相場がよくわかっていなかったレザー・シャーは、とんでもなく安値で協定を結んでしまう。

同時期、イランの2倍の石油を生産していたベネズエラは2億ドルの油田使用量を受け取っていたのに、
イランはたった3200万ドルしか払ってもらっていなかった。


今頃になって国際相場が分かってきたイラン政府は周回遅れで憤慨し、値上げ交渉なんてまだるっこいのでいっそアングロ・イラニアン石油会社の持っている油田を全部没収して、力づくで国有化した。

1951年のことである。

552:  2014/08/21(木)00:01:11 ID:ajkY1Wq6u
石油国有化を断行したモサデク首相はイラン人の英雄になった。

しかし、当然ながら自国の石油会社の財産を強引に奪い取られた英国政府はイランに激おことなり、国交断絶のうえ、国際司法裁判所と国連に提訴し、とどめに艦隊をペルシア湾に浮かべて威圧した。

「しまった、やりすぎた。イギリスさん怒ってるよ。マジ切れしてるよ。怖いよ」

「なに言ってんだ臆病者。イラン人としての誇りはないのか!」


イラン政府は動揺し、モサデクは首相辞任を余儀なくされる。

しかし国民が黙っていなかった。

「モサデクさんは俺らの英雄だろ!」

騒ぎまくる国民に恐れをなしたイラン政府は、たった4日でモサデクを首相に再任した。

タバコ・ボイコット運動以来、イランの国民はやたら気が強い。

暗躍するアメリカ


553:  2014/08/21(木)00:15:04 ID:ajkY1Wq6u
「あいつらまだ懲りないのか」

いまだ手ぬるし、と判断した英国政府は諸外国にもイラン制裁の輪に加わるように呼びかけた。

イラン石油のボイコットと経済封鎖である。

せっかく油田を国有化したにも関わらず、肝心の石油は全く売れないし、むしろ前より生活が苦しくなった。

クールな現実に直面して、民衆のモサデク支持熱が次第に下がり始める。誇りじゃ飯は食えん。


ここで第三勢力が画策を始めた。アメリカである。


アメリカは英国が押さえるイランの石油市場に食い込むために何年もかけて、第2代国王モハンマド・レザーに接近していた。

ところがモサデクなんていう新顔が出てくるわ、石油は国有化されるわで、今までの努力が全部水の泡になってしまった。

アメリカはイギリスに相談を持ち掛けた。


「提案なんだが、うちのCIAがモサデク政権倒したら石油の分け前くれないか」

「いいでしょう。この際4割ぐらいあげる」


合意が成立したので、アメリカCIAはモサデク首相を警戒する国王と結び、貧民の不満を煽って暴動を起こし、モサデク政権を打倒した。

これで石油国有化はおじゃんになり、大正義アメリカの後ろ盾を得た国王モハンマド・レザーが
嬉々として独裁を再開した。

アメリカは英国に代わってイラン油田の権益を手に入れ、収益の一部を分け与えることで国王を繋ぎとめる。

しかしこの一件で、アメリカという国は大いにイラン人の恨みを買うことになった。

554: 名無しさん@おーぷん 2014/08/21(木)00:22:37 ID:0EcIMRWiR

米きたか
しかしもう第二次大戦後か

557:  2014/08/21(木)00:30:00 ID:ajkY1Wq6u
>>554
レザー・シャーが退位させられたところで止めたかったんだけど、前振りに石油の話を出した関係でやむなく。

555:  2014/08/21(木)00:27:38 ID:ajkY1Wq6u
そんなわけで、イランにとって石油の出現は必ずしも幸福をもたらさなかった。

ペルシア湾を取り巻くイラクやサウジアラビア、アラビア東岸の小国群でも大量の石油が出るけど、それを最初から自国の利益にうまく活かせた国は少なく、石油によっていろいろな厄介ごとを抱え込むことも多かった。

しかし、石油の存在はこの地域の諸国にとって切り札としての意味も持った。

イランがやったようにいざとなったら油田を国有化したり、輸出を制限することで、この一帯の国々は世界に大きな影響を及ぼせる可能性が生まれたのだ。

その実例はいずれ出てくることになるだろう。


ところでイランだけやたら先の時代まで話が進んでしまったので、この方面はしばらく寝かせておいて
次は大英帝国の衰亡と第二次世界大戦について書かないと。

舞台はとっても久しぶりにインドへ移動、の予定。


今夜はここまで。
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