part1   イスラム教の始まり〜正統カリフ時代
part2  ウマイヤ朝〜アッバース朝
part3  各地で生まれる地方政権
part4  モンゴル帝国の侵攻とマムルーク朝
part5  オスマン帝国のはじまり
part6  ヨーロッパの反撃
part7  北方で生まれる大国とオスマン帝国の衰退
part8  ムガル帝国の衰退と東南アジアでのイスラム教
part9  アジアを狙う欧州諸国
part10 ナポレオンの東方遠征
part11 エジプトのムハンマド・アリー
part12 オスマン帝国の改革とイスラームの危機
part13 中央アジアを巡る英露のクレートゲームのはじまり
part15 アフガーニーの説くイスラーム復興
part16 存在感を増す新興国たち
part17 第一次世界大戦とオスマン帝国の滅亡
part18 イギリスの三枚舌外交
part19 イランと石油の世紀
part20 英領インド帝国の誕生〜インドの独立

イスラエルの独立宣言


584: 1 2014/08/24(日)22:30:45 ID:YzYH5XegZ
二度目の世界大戦が決着し、大英帝国は衰退する。

帝国は世界各地のいくつもの駐屯地を相次いで放棄し、元の小さな島国へと帰っていく。

インド撤退と同じ1947年、大英帝国は第一次大戦以来信託統治を続けていた地中海東岸、パレスチナからも撤退した。



地中海東岸。

その沿岸部全体を広い意味で「シリア」と呼ぶ。現在のシリア国家と混同しないために「歴史的シリア」と呼ぶこともある。

そのおよそ南半分、ヨルダン川と死海の西側に、三千年前に古代イスラエル王国が成立した。

伝承によればちょうど紀元前1000年、半ば遊牧の民だったユダヤ人を若き戦士ダヴィデが統合し、エルサレムに都して、唯一なる世界の主神ヤハウェを崇拝する神殿を建設したという。


イスラエルの王国はほどなく南北に分裂。北王国はアッシリアに滅ぼされ、南王国もバビロニアに滅ぼされ、民はバビロンへ連行された。

『エレミヤの哀歌』はうたう。

「ああ悲しいかな、昔は人の満ちみちたりしこの都、今は凄しき様にて坐し、寡婦のごとくなれり」

「ユダは艱難の故にまた大いなる苦役のゆえに囚われゆき、もろもろの国に住まいて安息を得ず」

「エルサレムは甚だしく罪を犯したれば汚れた者のごとくなれり」


バビロンに連れ去られたヘブライ人は異教の地にあって切にヤハウェに祈りを捧げ、いつの日か救済と故国への帰還を希った。

やがてアケメネス朝ペルシアが勃興。バビロンに入城したペルシア王キュロスは囚われのユダヤ人にイスラエルへの帰還を許す。

イスラエル人はキュロスを救世主と讃え、主神ヤハウェの偉大さと、自らが聖なる民であることを確信した。


しかし、再興されたイスラエル王国もやがてセレウコス朝シリアに滅ぼされ、のちにローマ帝国の属国となる。

ローマの支配を嫌ったユダヤ人は幾度も反乱を起こす。

紀元131年。救世主にしてユダヤの大公、星の子を名乗る「シモン・バル・コクバ」がローマ帝国からの独立を宣言。

4年後、反乱を鎮圧したローマ皇帝ハドリアヌスは、すべてのユダヤ人をイスラエルの地より放逐し、この地を「パレスチナ」と改名した。

こうして再び故国を喪失したユダヤ人は世界中に離散する。


故国なき民は何処にあっても少数派であり、しばしば偏見や迫害に苦しんだ。

しかし不思議なことにこの民族は歴史の闇に溶け去ることなく、二千年の歳月を乗り越えた。

彼らは苦しみに遇うたびに、「ハティクヴァ」、すなわち「希望」という歌を歌って互いを慰め支えあった。

「ユダヤの民の望みは、はるか古よりシオンの地へと帰ること。いざ東へ向かわん。希望は未だ尽きず・・・」

かつて、神ヤハウェの恩寵により失われた故国はひとたび取り戻された。であれば、此度の苦しみも永遠ではない・・・


いま、二千年にわたる「ハティクヴァ」が現実となる時が近づこうとしていた。

しかしながら、ユダヤ人がシオンの地を留守にした二千年の間に、この地に新たに住まうようになった民もおり、これが甚だ厄介な問題を引き起こす。

585: 1 2014/08/24(日)22:33:44 ID:YzYH5XegZ
>>584
>バビロンに連れ去られたヘブライ人

書き間違い。いや間違いではないんだけど、ややこしくなるのでこのスレでは全部「ユダヤ人」で統一します。

なお、今夜はこれを聴いているw
https://www.youtube.com/watch?v=a0-n1kNqf1s


586: 1 2014/08/24(日)22:48:19 ID:YzYH5XegZ
実を言えば、ハドリアヌスの追放令なんてとうの昔に形骸化し、エルサレム周辺にユダヤ人たちは普通に住んでいた。

イスラーム勢力が東地中海沿岸を征服すると、彼らは同地のキリスト教徒やサービア教徒やその他もろもろの信徒と同じく、

貢納を条件に被保護民として自分たちの信仰を守ることを認められ、ムスリムたちと共存して暮らしていた。

十字軍がやって来た時は、エルサレムにいたユダヤ教徒もキリスト教徒も巻き添えを食らって殺されている。


だが、世界に散ったユダヤ人たちが皆そんな事情を知っているわけではないし、現実に離散した先で何世代もの生活を重ねれば いくら魂の故国がエルサレムであろうと、そうそう気軽に「帰還」できるというものでもないだろう。

しかし、近代に入ると状況が変わってくる。


ヨーロッパではナショナリズムが勃興し、国民国家の形成が進むとユダヤ人は異物として弾き出され、従来以上に激しい迫害の対象となる。

その一方で欧州列強が東地中海一帯を支配するオスマン帝国に対して優位に立ったことにより、欧州に暮らすユダヤ人たちも必要とあれば昔よりは容易にイスラエルへ「帰還」ができるようになった。


とはいえイスラエルには何世紀も前からアラブ人たち(ムスリムだけでなく、現地のユダヤ人も「アラビア語を話すユダヤ教徒」と考えれば ある意味「アラブ人」の一種であるともいえる)が暮らしている。


それに、率直に言って現実のイスラエル地方はなかば砂漠で、さほど魅力のある土地ではないように見えた。

ってわけで、そんなに大々的にユダヤ人のイスラエル帰還が始まったわけではない。

ただ、どうにも耐えがたい迫害を受けた一部のユダヤ人たちが、ひとつの選択肢としてこの地へ来ることもあった。

来てみればやはり自分たちは新参の少数派。現地のアラブ人に頭を下げて、お金を払って土地を買い、細々と耕作する。


しかし19世紀の終わり頃、ロシアのポグロム(ユダヤ人虐殺)を機にシオニズム運動が始まると、この状況が変わってくる。

ユダヤ人たちは集団で、はっきりと民族意識を持ってイスラエルへやって来るようになり、

アラブ人から土地を買うと、現地の先住者を排除してわざわざ各地のユダヤ教徒だけを招いて排他的なコミュニティを建設。


第一次世界大戦後に英国の委任統治が始まると、イスラエルのユダヤ人たちは自分たちの自治組織を作って権利を主張する。

それでもしばらくは、英国の力のもとでユダヤ人とアラブ人はどうにか平穏に共存しているようだった。

587: 1 2014/08/24(日)23:16:17 ID:YzYH5XegZ
だが、ユダヤ人たちの数が増えるにつれて、次第に先住のムスリムとのいざこざが起こらざるを得ない。

きっかけは1929年。

英国は余計な揉め事の種をなくそうと、宗教的慣習の変更は一切まかりならんとお触れを出していた。

とりあえず何事も今まで通りのやり方で続ければ、文句をいう奴も出てくるまいと思ったのだろう。


が、空気を読めない新参のユダヤ人がエルサレムの聖地「嘆きの壁」の前に、礼拝用のベンチだの衝立だのを設置。

それを見たアラブ人たちは「なに勝手なことしてんだよ」と怒り出し、見る見るうちにパレスチナ全域にわたる騒乱に。

英国側としては、アラブの反乱の負い目もあってどちらかというアラブ人を贔屓気味だったので、この事件以来、新たなユダヤ移民を厳しく制限することにした。


ところが程なくドイツでアーリア人種至上主義を掲げるナチスが政権をとり、ユダヤ人の迫害を開始。

ユダヤ人難民たちが英国の想定を超える勢いでパレスチナに殺到し、人道的にも物理的にも追い返しきれなくなる。

となるとアラブ人の側も反発するわけで、1930年代後半にはアラブとユダヤの大規模な武力衝突が頻繁に発生した。


そうこうするうちにも情勢は更に悪化し、いよいよ第二次世界大戦が始まり、ナチスドイツが数百万人のユダヤ人を虐殺する。

大戦が終わると連合国勝利の立役者となったアメリカが、虐殺を生き延びたユダヤ人をパレスチナに受け入れるよう、英国に圧力をかけた。

パレスチナのユダヤ人たちも、英国が移民を拒否するのであれば武力闘争も辞さないと宣言し、45年10月から実際に反英テロ活動を開始。

46年7月には委任統治政府を爆破して80人もの政府官吏を殺害する挙に出た。


せっかく英国が頑張っていたアラブとユダヤの融和も滅茶苦茶になり、聖都エルサレムもボロボロにされるばかりだった。


ってわけで国連が調停に乗り出し、委任統治領パレスチナを分割し、ユダヤ人の独立国家を認めることを決議した。

英国はもはや一刻も早くこの滅茶苦茶な泥沼から抜け出すことしか頭になく、パレスチナもインド同様の無政府状態となった。


アラブ人にしてみればユダヤ人国家の建設なんて認められないし、ユダヤ人にしてみればアラブ人に国家建設が潰されるのが恐ろしい。

ユダヤ人の地下軍事組織ハガナ軍とイルグン軍は、周囲のアラブ国家が介入してくる前に分割決議で認められた領域を確保しようとし、アラブ人の村落を襲って住民を虐殺した。


両軍の暴虐に怯えた周辺のアラブ人たちは取るものも取りあえず逃走。

そのうえで1948年5月14日、ユダヤ人の指導者ペングリオンはイスラエル国の独立宣言を発表したのだった。
 
Declaration_of_State_of_Israel_1948_2
イスラエル建国を宣言するベングリオン
photo credit 

588: 名無しさん@おーぷん 2014/08/24(日)23:24:02 ID:heDC4Of0v
現イスラエル建国来たか
この辺りのごちゃごちゃしたところがまた何となくでも分かった気がするわ

589: 1 2014/08/24(日)23:39:37 ID:YzYH5XegZ
大正義イギリスはひたすら面倒くさかったので、同日ハイファ港より全軍撤退した。

なお、混乱に紛れてユダヤ人がイギリスの戦車を何台かかっぱらっており、これが直後の戦争で大活躍したという。


でもって一夜が過ぎてまだ明けない5月15日未明。

エジプト、シリア、トランスヨルダン、レバノン、イラクの5ヶ国連合軍がイスラエルに一斉侵攻した。

国連決議だかなんだか知らんが、横から来た強盗に土地を奪われ、同胞を殺されて黙ってられるかというわけだ。


ところが、イスラエル軍は圧倒的に強かった。


開戦早々、ハガナ軍とイルグン軍が内戦始めかけるなんていうポカもあったものの、両軍を統合して「イスラエル国軍」を結成するや

たちまちアラブ諸国軍を圧倒し、決議案で認められた領域すべてに加え、国際管理地域だったはずのエルサレム新市街なんぞも占領した。

余勢を駆って48年12月にはエジプト国境を越えてシナイ半島まで侵攻。

最終的に49年秋までに5ヶ国すべてと休戦するものの、これによってイスラエルの独立と国境が事実上確定したのである。


ちなみに休戦協定の際にヨルダン川の西岸がトランスヨルダン王国に編入。

「トランスヨルダン」というのは地中海側から見て「ヨルダン川の向こう側」という意味の国名なのだけど、

「ヨルダン川のこちら側」にも領土ができたので「トランス」は要らんだろうということになり、以後、この国はただの「ヨルダン王国」に改名して現在に至る。


この戦争は国際的には「第一次中東戦争」と言われているのだけど、イスラエルでは「独立戦争」、アラブ諸国では「ナクバ」、つまり「大災厄」と呼ばれている。

まったく大災厄というしかないだろう。

この戦争の期間を通じて50万人のアラブ人がイスラエル軍に追われ、ヨルダン川西岸のヨルダン王国領や
イスラエル国外のガザ地域に逃れていかざるを得なかった。


ユダヤ人が二千年ぶりに故国を取り戻した代わりに、アラブ人が故国を喪失したのだった。

彼らはこれより「パレスチナ難民」と呼ばれることになる。


今夜はここまで。

591: 名無しさん@おーぷん 2014/08/25(月)00:12:11 ID:hsYEFGi0T
WW2時の、満州辺りにユダヤの国作るとか言う話が通ってたら中東は平和だったんだろうかね

592: 2014/08/25(月)00:18:25 ID:99hq2Y4P6
>>591
他にもシオニズム運動のなかでウガンダにユダヤ人国家を建設するプランもあったし、ソ連は東シベリアにちっぽけなユダヤ自治区を実際作ったよ。

まあ、どこに行っても揉めるだろうし、ユダヤ人がいなくても中東は平和にはなってないだろうね。

ユダヤ人の立場に立ってみれば彼らの想いも希望も理解はできる。

個々のユダヤ人・イスラエル国民が悪人だとも思わない。

ただ、アラブ人にとってみればヨーロッパの歴史の中で積み重ねられた因縁の精算を何も関係もない自分たちに押し付けられたわけで、これは酷い話。

結局のところ、ヨーロッパが中東を好き放題にできた帝国主義の構造自体が悪いということになるんかねえ。

594: 名無しさん@おーぷん 2014/08/25(月)00:36:27 ID:PhHQvJjR2
イルラエル軍の謎の強さ

595: 2014/08/25(月)23:08:22 ID:okU1q1yBa
>>594
第一次中東戦争の時点でイスラエルは中東で唯一、第二次世界大戦の最前線で戦った軍人たちが大量にいたし、近代兵器も大量に持ってたしね。

で、戦後は徹底的に国防を重視した国造りを進める。

軍事に詳しい人ならもっといろいろ語って、ツッコミも入れられるだろうけど。
次:part22 第一次世界大戦後のエジプトと中東戦争