part1   イスラム教の始まり〜正統カリフ時代
part2  ウマイヤ朝〜アッバース朝
part3  各地で生まれる地方政権
part4  モンゴル帝国の侵攻とマムルーク朝
part5  オスマン帝国のはじまり
part6  ヨーロッパの反撃
part7  北方で生まれる大国とオスマン帝国の衰退
part8  ムガル帝国の衰退と東南アジアでのイスラム教
part9  アジアを狙う欧州諸国
part10 ナポレオンの東方遠征
part11 エジプトのムハンマド・アリー
part12 オスマン帝国の改革とイスラームの危機
part13 中央アジアを巡る英露のクレートゲームのはじまり
part15 アフガーニーの説くイスラーム復興
part16 存在感を増す新興国たち
part17 第一次世界大戦とオスマン帝国の滅亡
part18 イギリスの三枚舌外交
part19 イランと石油の世紀
part20 英領インド帝国の誕生〜インドの独立
part21 イスラエルの独立宣言
part22 第一次世界大戦後のエジプトと中東戦争
part23 イラン革命とシーア派

ソ連のアフガン侵攻


658:  2014/09/04(木)22:15:48 ID:NvraU2rV4
イラン革命をきっかけとして、にわかに始まった「第二次イスラーム復興運動」。
これにもっとも脅えたのは意外にもソビエト連邦だった。


なぜかというと、おおむねロマノフ朝ロシア帝国の版図を引き継いだソビエト連邦は、実は世界で最も多くのムスリムを擁する国家のひとつだったのだ。

ロシアが19世紀に征服した中央アジア、カフカス、クリミア半島、そしてモスクワからも遠くないヴォルガ中流域。

ロシア革命後、「宗教は人民の阿片なり」とのスローガンのもと、イスラームは徹底して貶められ抑圧され、スターリンの独裁時代にはクリミア・タタール人などの不穏分子が東方へ強制移住を強いられた。

だが、そんな抑え込みをすればするほどに、南部や東部のムスリムたちのあいだにソビエト支配への反感が募っていることは想像に難くない。

あるいは、あまりにイスラームを抑圧しすぎたがゆえに、かえってイスラームという宗教がソビエトに支配されるアジア系諸民族のあいだで独立の旗印として利用される恐れすらも芽生える。


だからイラクのサダム・フセインがイランに侵攻すると、ソビエト連邦はどこよりも熱心にイラクを支援した。

しかし、それでもまだ不安だ。
西側だけではない。東側からもイランを封じ込めなければ。

そこでソ連はアフガニスタンに目を向けた。

 
659: 2014/09/04(木)22:20:20 ID:NvraU2rV4
ソ連がアフガニスタンに関心を持ったのには他にも理由がある。

つまり、あの「グレートゲーム」の延長戦である。

共産主義国家であるソビエト連邦も、つまるところロマノフ朝ロシア帝国と同じ領土を支配する以上は、
共通の地政学的な利害を持つ。

ソビエト連邦は南進を欲し、19世紀には存在しなかった「石油」という要素にも関心を持っており、機会あらばユーラシア大陸南岸に勢力を拡大しようと意図していた。


そんななか、テヘランの大使館占拠事件に対処するため、アメリカがペルシア湾に軍を展開した。

これはソ連の警戒心をいたく刺激した。


そうした状況のなかでソ連はアフガニスタンに軍事介入を開始する。

660: 2014/09/04(木)22:42:54 ID:NvraU2rV4
アフガニスタンでは20世紀に入ってからも王制が続いていたが、この国には多くの山岳部族が割拠しており

アフマド・シャー・ドゥッラーニー以来の「アフガニスタン王国」も部族連合の盟主というのが実態だった。

王権は弱く民は貧しかったが、国王ザーヒル・シャーは政治的なバランス感覚に優れており、20世紀半ばまでのアフガニスタンの国情は安定していた。

1950年代、王族のムハンマド・ダーウードが首相に任じられ、国王直属軍を整備し、中央集権化を進めようとした。

しかし、先祖代々一国一城の主であった山の族長たちはこれに猛反発。

天秤が傾きすぎたことを悟った国王ザーヒルはダーウードを解任し、立憲君主制を導入。

東西冷戦のなかで巧みにバランスを取りながら産業を振興し、小国並みにアフガンをそこそこ栄えさせた。

だが、ダーウードは納得しない。

1973年、名君ザーヒルが病気療養のために出国中、突然クーデターを起こして国を乗っ取ったのだ。

しかしそこから荒れる荒れる。

ダーウードには複雑なアフガニスタンを御していく器量などなく、政変が相次ぐ。


小国の政変は東西両陣営の好餌である。

米ソ両国はアフガニスタンの政治にいろいろ首を突っ込んだが、最終的に共産主義勢力が主導権を握り、
アフガニスタンはソ連の影響下に入った。


だが、何せ共産主義というのは「宗教は人民の阿片なり」が合言葉。

政権はカブール市街に鉄筋の殺風景なアパートを建てまくり、あちこちにレーニンのポスターを貼り、アフガニスタンの人々のあいだで信望を集めていた宗教指導者たちを投獄しまくった。

素朴なアフガンの人々は神を恐れぬコミュニストどもに怒り心頭に発し、「聖戦じゃー!」と立ち上がる。

各地で決起した若者たちは「ムジャヒディン」、つまり聖戦の闘士として称賛された。


ビビったアフガニスタン政府はソビエト連邦に支援を要請した。

これを受けたソ連政府では討議の結果、「要は現在のアフガン政府が無能だからいかん」という認識に達し、

「よろしい軍事介入だ。でもってムジャヒディンどもを鎮圧し、無能政府の首も挿げ替えよう」という計画を立てた。

アフガニスタン共産政権も哀れなものだ。


なんといってもソ連側は小国アフガニスタンの支配者たちなんぞに、さして同情も共感も持っていない。

これをいい口実に南アジア方面に影響力を拡大し、イランを東から押さえようと思っただけである。


そういうわけで1979年冬より、ソビエト軍が逐次アフガニスタンに侵攻を開始した。

Mortar_attack_on_Shigal_Tarna_garrison,_Kunar_Province,_87
ムジャヒディンたち(photo credit)

662: 2014/09/04(木)22:56:27 ID:NvraU2rV4
ソビエト連邦からも無能認定されたアフガニスタン共産政権など、どうでもよい。

この戦争は10万のソビエト軍と、25万のアフガンゲリラ、「ムジャヒディン」との戦いになる。

ソビエト連邦は世界で一、二を争う強国と思われていた。

しかし、アフガニスタンはいわばソ連のベトナムとなる。


ソ連軍は第二次世界大戦でドイツ第三帝国と激闘した。

ゆえにその戦闘教義は平原での正規軍同士の大会戦、空軍と連携した電撃戦を基幹とする。

しかしアフガニスタンは広大なロシアの平原とは似ても似つかぬ山国で、敵は神出鬼没のゲリラ部隊。

共産主義者には理解不能な聖戦の大義に燃えている。


とくに、建築学科の学生からゲリラ指揮官に転職した「アフマド・シャー・マスード」はアフガニスタン北部のパンジシール渓谷を拠点に幾度となく攻め寄せるソ連の大軍を撃退し続け、「パンジシールの獅子」と畏怖される。

ベトナムのボー・グエン・ザップと並び、20世紀最強の軍人で間違いない。


ま、そんなわけでソ連軍はアフガニスタンの泥沼ならぬ岩山に嵌り、大変苦労した。

もちろんアフガン側の被害も甚大。

膨大な人々が死傷し、そこそこ近代化しつつあったインフラは滅茶苦茶に破壊され、国土は荒廃を極め、識字率もガタ落ちした。

663: 2014/09/04(木)23:07:53 ID:NvraU2rV4
そんなアフガニスタンを救おうと、イスラーム世界各地から義勇軍がやってきた。

時はイスラーム暦の第15世紀初頭。

イラン革命に端を発した第二次イスラーム復興運動のなかで、各地で世俗主義に反発し、聖戦の大義に身を捧げようという若者が出現しつつある。

彼らはカアバ神殿を占拠したりサダトを暗殺したりといろいろ荒れ狂っていたわけだが、ソ連のアフガン侵攻によって、文字通り聖戦に参加する機会を見出したのだ。

若者たちは栄光の予感に歓喜し、各国当局も不穏分子を体よく厄介払いできると歓喜した。

とくに、ワッハーブ主義を国是とする以上、過激原理主義者の生成率が著しく高いサウジアラビアは大喜びして騒がしい憤青連中をアフガンへ送り込んだ。

さらにアメリカもこれを後押しした。

第二次世界大戦以来、全世界でソビエト連邦と対立し続ける資本主義の盟主アメリカとしてはタダでソ連軍と戦ってくれる連中がわんさか湧いて出るのは願ってもない。

これら聖戦に燃える若者たちを集めてアメリカ式の軍事訓練を叩きこみ、大量の武器を投げ与えてアフガニスタンに送り込んだ。


これら義勇兵たちも、アフガンゲリラと同じく聖戦に従事する者として「ムジャヒディン」と呼ばれる。

サウジアラビアから旅立ち、アメリカの支援を受けてアフガニスタンに乗り込んだムジャヒディンの中には「オサマ・ビンラディン」という若者もいた。

十数年後に世界に名を轟かす人物である。


今夜はここまで。

664: 2014/09/04(木)23:17:06 ID:NvraU2rV4
それにしても1979年っていう年は事件が多すぎる。

1月から2月はイラン革命。

3月はエジプトとイスラエルの講和。

7月にイラクでサダム・フセインが大統領になる。

11月4日にテヘランで大使館が占拠され、20日にメッカでモスクが占拠される。でもって12月からソ連がアフガニスタンに侵攻する。

まさに激動の1年。

665: 名無しさん@おーぷん 2014/09/04(木)23:25:29 ID:I4T9wEBHy
機動戦士ガンダムが放送された年

667: 2014/09/04(木)23:34:25 ID:fOLgN2FlW
>>665
もう少し最近だと思ってた。

666: 名無しさん@おーぷん 2014/09/04(木)23:27:55 ID:mIuuBmYYe
乙カレー
まさに激動ですなぁ

イイ戦争時に叔父がイランで働いてて大変だったという話をしてたけど、ようやくどんな状況だったのかちょっと分かりやした。

当時も今もイスラムの国々と日本との関係って良いのか悪いのか良く分からない(´Д` )

667: 2014/09/04(木)23:34:25 ID:fOLgN2FlW
>>666
国によるとしかいえないけど、信長の野望的に表現すれば友好度55から60ぐらいが平均かなあ。
基本的に敵対する理由が何もないしね。

イランはわりと親日的だと言われている。日本もアメリカが黙認する限度内で、わりとイランと仲良くしてきた。

なにしろ石油が安く買えるのでw

ソ連の崩壊


669: 2014/09/05(金)22:07:27 ID:hRMy3nTSb
ソ連はアフガニスタンで10年間戦争を続け、1000億ドルの戦費を費やし、自軍に1万5千の死者、敵国に10万の死者と500万人の難民を生みだした。

それでもアフガニスタンのムジャヒディンを屈服させることはできなかった。

どこからともなく迫るゲリラへの恐怖に悩まされたソ連兵士たちは麻薬に溺れた。

不毛な小国に翻弄されるソビエト連邦は超大国としての権威を失っていった。

ソビエト国内でも長いブレジネフ政権のあいだに政治の腐敗がとめどなく進行し、

アメリカに軍備競争という名の喧嘩を売られるもカネが底をついて息切れし、長年凶作が続き、チェルノブイリで原発が爆発し、いろいろと限界に近付いていた。


「いつまでもこんなこと続けてられない。国が壊れる!」

1985年にソビエト連邦の指導者となったゴルバチョフは、アフガニスタンから手を引くことを決断。

1989年12月、なんの戦略的目標も達成しないままソ連軍はアフガニスタンから撤退した。

10度にわたってソ連の猛攻を退けた「パンジシールの獅子」、マスード将軍が去りゆくソ連軍を山の上から悠然と見送った。


アフガニスタン介入を諦めたソ連では、ゴルバチョフが国家を再建するために必死に政治改革を試みたが、

連邦の弱体化が露呈したことにより、ソビエト連邦という国家連合を構成するいくつもの国々や民族が好き勝手に動き出し、「もう連邦なんて維持する意味ねーよ」と宣言しだした。

「岩山だらけの貧乏国に10年かかずらった挙句尻尾を巻いて逃げだすとは……ソ連にはマジで失望したわ」

ソビエト連邦が自壊しはじめたことで、半世紀に及んだ米ソの東西冷戦はなし崩し的に終結。

アフガン撤退から1年そこそこのうちに、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンなどが次々に連邦から離脱。

中核だったロシア共和国自体も「ソビエト連邦なんぞシラネ」と言い出した。

で、1990年12月26日。

ソビエト連邦は消滅し、10数個の共和国がユーラシア大陸北半に出現。こうしてひとつの時代が終わった。

670: 2014/09/05(金)22:28:30 ID:hRMy3nTSb
しかし、ソ連が撤退したあとのアフガニスタンでは、なおも戦乱が続いた。

10年にわたる戦争の結果、国土は瓦礫の山となった。

国民の10人に1人が死亡し、農村の3割が消滅した。王制時代の繁栄はあとかたもなくなった。

ソ連の撤退、そして崩壊後。

ソ連が残した弱体なカブールの共産政権は戦闘機を飛ばす金もなくなって倒壊した。

ソ連軍を追いだしたゲリラたちがカブールに乗り込み、ひとまず連合政権を作るが、彼らは戦乱のなかで各地で自前の勢力圏を構築していた。要は軍閥である。

連合政権はすぐに瓦解し、たちまちマスード、ドスタム、ヘクマティアルなど、軍閥同士の抗争がはじまった。

アフガニスタンは分かりやすく群雄割拠の戦国時代に突入したのだ。


ところでイスラーム世界各地から馳せ参じたムジャヒディンたちはどうなったのか。

1989年にソ連が撤退した直後、カブール政府軍とムジャヒディンたちがジャララバードで激突した。

ところがこの戦いのさなか、それまで熱心にムジャヒディンたちを支援していたアメリカが突然姿を消した。

「ソ連が帰ったなら、うちらもアフガニスタンなんぞに用はないのでさよなら」

ムジャヒディンたちは唖然とし、アメリカを裏切り者と罵倒した。

そんな彼らに支援の手を差し伸べたのは、アフガニスタンの東の隣国パキスタンだった。

パキスタンとアフガニスタン


671: 2014/09/05(金)22:46:20 ID:hRMy3nTSb
1947年8月に英領インド帝国から独立したパキスタンは、建国者ジンナーの構想どおり、世俗国家として出発した。

しかしそれに飽き足らない人々もいる。

英領インド時代からジンナー以上に激しくムスリムの団結と独立を主張してきたマウドゥーディーという思想家がいる。

彼は1941年にイスラーム国家の樹立を目指す「ジャマーアテ・イスラーミー」という政治団体を結成し、
パキスタンが成立すると「イスラーム国家誕生じゃあ」と喜び勇んで乗り込んだ。

が、独立パキスタンは西洋そのままの議会制民主主義国家を目指しており、イスラーム法の施行なんて考えてもいない。

「失望したわ!」

マウドゥーディーはパキスタンのイスラーム国家化を唱える大衆運動を組織したり、

「憲法を改正して主権在アッラー原則を明記しる」と演説したりしたが、いまいち上手くいかない。


が、次第に風向きが変わり始めた。

1970年代後半になると、イスラーム世界全体に変革の予感が漂いはじめる。

そんななか1977年に軍部のクーデターが発生し、「ズィヤー・ハック」なる軍人がときの大統領ブットを処刑して政権を奪った。

「ブット政権は腐敗堕落しておった。道徳がなっておらん。イスラームの倫理に立ち戻らなあかん」

ズィヤーは戒厳令を発し、綱紀粛正を唱えて大々的にイスラーム法の導入を宣言した。

石投げとか手足切断とかの身体刑導入、預言者冒涜罪の制定、シャリーア法廷設置、利子の禁止うんぬんかんぬん。

ズィヤー政権成立によって、ジャマーアテ・イスラーミーはついに政権内に食い込むことが出来た。

672: 2014/09/05(金)23:00:35 ID:hRMy3nTSb
突然イスラーム国家に路線変更したパキスタンであるが、前任者のブットが推進した企業国有化を解除したこともあり西側諸国とはいい関係を築くことができた。

ぶっちゃけイランほど存在感がある国でもないし。

1979年にその目立つイランで大々的にイスラーム革命が発生。

パキスタンとは正反対に、親米政権が宗教勢力に打倒され、ガチガチ反米政権が誕生という流れになった。

「イランとパキスタンは似てるけど、態度は正反対だな!」

パキスタンは「善良なイスラーム国家」というポジションを確保することに成功した。

なので、ソ連のアフガニスタン侵攻が始まると、パキスタンはイスラーム世界各地からアフガニスタンに向かう聖戦志願者たちの中継基地として重宝された。

ズィヤーも、前任者のブットが信奉していた共産主義が嫌いなので、ソ連と戦うムジャヒディンを大いに支援した。

「イスラーム主義はとにかく、共産嫌いというのは良いことだ」

アメリカは喜んで、パキスタンにたくさんお金と兵器をプレゼントした。

とまあ、そんな前史がここまでにある。

673: 名無しさん@おーぷん 2014/09/05(金)23:05:06 ID:gGW3jpFj9
アカをぶっ殺すイスラムは良いイスラムだ!

678: 2014/09/05(金)23:45:34 ID:hRMy3nTSb
>>673
ほんとそれwww

674: 2014/09/05(金)23:14:27 ID:hRMy3nTSb
ズィヤー大統領は1988年に死亡し、パキスタン政府は変な夢から覚めたように急速に世俗路線に戻った。

しかしズィヤー時代の影響で、その後もパキスタンにはイスラーム原理主義が深く根を下ろすことになる。


それはさておき。

パキスタンはかねて東のインドと紛争を続けており、ブット政権の時には核兵器まで開発した。

しかし、インドは東西何千キロにも及ぶ大国なのに、パキスタンはインダス流域の狭い国土しか持っていない。

もしインドと本格的な戦争になったら、すぐに追い詰められてしまう。

背後にもうちょっと広がりが欲しいところだよねえ……などと思い悩んでいたところ。


ソ連がアフガニスタンから撤退し、山の向こうでは取り残されたムジャヒディンが立ち往生しているとか。

パキスタンはひらめいた。

「ムジャヒディンを支援してアフガニスタンを乗っ取らせて、親パキスタン政権つくればよくね? うは、名案」

「ついでにパキスタン国内の原理主義な連中もアフガニスタンに放り込んじまおうか」


1990年代初頭。

アフガニスタンとパキスタンの国境付近に点在する難民キャンプに「ムハンマド・オマル」なる人物が登場した。


彼は最初の頃は難民キャンプで細々と子供たちにコーランの教えなどを講義していたのだが、あるとき2人の少女がアフガニスタンの軍閥に誘拐された。

オマルは生徒たちとともに「いたいけな美少女(?)を悪の手から救い出すのだっ!」と叫び、

大胆にもアフガニスタンの軍閥本拠地に乗り込み、切ったはったの大活躍の末、少女2人を救出し、難民たちに「正義の味方あらわる」と大喝采を博した。


……と本人たちは主張しているが、実話かどうかは確認不可能である。
676: 2014/09/05(金)23:26:39 ID:hRMy3nTSb
まあいずれにせよ、ムハンマド・オマルなる人物が次第に難民たちの指導者として台頭してきたので、パキスタン政府はオマル一派に軍資金や兵器や退却拠点を与えて、アフガニスタンに乗り込ませた。

オマルと生徒たちはパキスタン政府の期待に応え、諸国のムジャヒディンたちを吸収しながらどんどん勢力を拡大した。

何しろ「正義の味方」である。

モヒカン頭でバイクを乗り回し(イメージ)、住民から収奪することしか考えてない無法な軍閥を蹴散らし、治安を回復し、人々の生活を保護したので、アフガニスタンの一般庶民は彼らの到来を大歓迎した。

このオマル一派は、アラビア語で「学生たち」を意味する「タリバン」という名前で知られるようになる。

タリバンは1996年にはカブールを制圧し、20世紀が終わる頃にはアフガニスタンの大半を勢力下に組み入れた。

割拠していた軍閥は共通の敵を前にやむなく休戦し、北部に撤退し、「北部同盟」というまとまりを作ってタリバンに抵抗した。

しかし、アフガニスタンの覇者となったタリバンは、まもなく極端なイスラーム主義勢力としての顔を見せ始める。

音楽や写真、一切の娯楽、女子教育の全面禁止。女性はすべて黒いヴェールをかぶることなしに町を歩けない。

アフガニスタン国民はタリバンに失望した。

「モヒカン連中と狂信者とどっちもどっちやな……」

また、タリバンが規模を拡大するにつれ、タリバン内部でアフガニスタン最多のパシュトゥーン族の比率が高くなり、

マザリシャリフ占領時にはハザーラ人の大虐殺を行うなど、「いや実は正義の味方じゃないだろ」的な振る舞いも散見。

南のタリバンと北の軍閥。どっちもどっち。

2001年にはさらにとんでもない第三勢力がこの国にやってくることだろう。しかしそれはもう少し後の話になる。
今夜はここまで。

677: 名無しさん@おーぷん 2014/09/05(金)23:32:54 ID:gGW3jpFj9
もう現代になったか

678: 2014/09/05(金)23:45:34 ID:hRMy3nTSb
>>677
ゴールがどこになるかな。

681: 名無しさん@おーぷん 2014/09/06(土)10:47:40 ID:b2TUO0Jcw
なんでこいつら信仰に頼らないと最低限のモラルすら保てないんや

682: 名無しさん@おーぷん 2014/09/06(土)11:42:16 ID:BA4RRtr8j
モラル=社会規範=宗教
だもの

684: 2014/09/06(土)18:13:32 ID:2ObKhTHoL
>>681
こいつらの範囲によるけど、>>682も答えの一つだし、「衣食足りて礼節を知る」っていうのも答えかもしれない。

イスラームの価値基準や倫理観は確かに独特なものもあるけど、本質的に他の文明とそこまで異質なわけじゃない。

ただ単に、モラルどころじゃないという状況に置かれている地域も多いからね。

アフガニスタンの軍閥勢力に限った話をすると、実は「軍閥」を構成する兵士たちのほとんどは十代や二十代の若者たちだった。

彼らが物心ついたころにはソ連の侵攻でアフガニスタンの国土は荒廃を極め、ろくな教育を受ける機会もなかった。

本を読んだりメディアに触れたり外国に旅して視野を広げることなど思いもよらず、ただ毎日生きる為に戦ってきた。

誰が敵で誰が味方か、敵に対してどこまでの行為が許され、どこからが許されないのか、誰にも教えてもらえなかった。

ただ、信頼できるのは同じ陣営で戦争を潜り抜けた仲間たちと指揮官だけだったから、

その戦友たちのためにならば略奪も殺人もなんでもしたし、それが悪だとは思いもしなかった、ってことじゃないかと。

685: 2014/09/06(土)18:21:41 ID:2ObKhTHoL
ただ、そもそも「イスラーム」とか「アフガニスタン」とか「原理主義者」とかいう概念で 具体的なモロモロの事象をひとまとめに論じることは無理だと思うんだな。

モラルを保てない奴もいれば、高潔で騎士道的なマスード将軍みたいなのもいるし。

テロも辞さない原理主義者もいれば、大学に籠って文献研究に勤しむ原理主義者もいるし。 

引用元: ・1がイスラーム世界の歴史についてダラダラ解説


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