part1   イスラム教の始まり〜正統カリフ時代
part2  ウマイヤ朝〜アッバース朝
part3  各地で生まれる地方政権
part4  モンゴル帝国の侵攻とマムルーク朝
part5  オスマン帝国のはじまり
part6  ヨーロッパの反撃
part7  北方で生まれる大国とオスマン帝国の衰退
part8  ムガル帝国の衰退と東南アジアでのイスラム教
part9  アジアを狙う欧州諸国
part10 ナポレオンの東方遠征
part11 エジプトのムハンマド・アリー
part12 オスマン帝国の改革とイスラームの危機
part13 中央アジアを巡る英露のクレートゲームのはじまり
part15 アフガーニーの説くイスラーム復興
part16 存在感を増す新興国たち
part17 第一次世界大戦とオスマン帝国の滅亡
part18 イギリスの三枚舌外交
part19 イランと石油の世紀
part20 英領インド帝国の誕生〜インドの独立
part21 イスラエルの独立宣言
part22 第一次世界大戦後のエジプトと中東戦争
part23 イラン革命とシーア派
part24 イスラム革命後のアフガニスタンと諸国の思惑
part25 イラン・イラク戦争の終結と湾岸戦争

アルカーイダのオサマ・ビンラディン


700: 2014/09/08(月)22:41:54 ID:s7Du8LXJf
さて、湾岸戦争は多国籍軍の圧勝に終わり、悪者のイラクは追い返され、クウェートは解放され、ひとまずハッピーエンドで終わったかに見えた。

だが、そうは思わなかった者たちもいる。


多国籍軍のイラク侵攻の際、サウジアラビア王国が米軍の国内駐留を認めた。

サウード王家は、クウェートの次には自国にフセインが手を伸ばすのではないかと恐れたのだ。

実際、サウジアラビアはイラクと長い国境線を持つし、湾岸戦争の中でイラクは幾度はサウジアラビアにも攻撃を仕掛けている。

だが、ワッハーブ主義を標榜するサウジアラビア国内の厳格なムスリムたちは、異教徒の軍勢が自国に駐留することを嫌悪した。

そも、サウジアラビアはイスラーム世界の中枢、メッカとメディナの二聖都を擁する聖なる国家ではないか。

それでなくても、中東戦争後半からやたらイスラエルの肩を持つアメリカの評判は悪い。


アメリカ軍は湾岸戦争が終結した後も、イラクの監視とペルシア湾の安定化のためと称し、サウジに留まり続けた。

その数、約3万4千。

保守派ムスリムのなかでも特に過激な一派は、実力でアメリカ軍を追い出そうとし始めた。

その中心になったのは、アフガニスタンでソ連と「聖戦」をやって来た若者たちである。

彼らはソ連撤退直後、ジャララバードの戦いでアメリカが自分たちを見捨てた恨みも忘れていない。


1983年頃、パキスタンのペシャワールでムスリム同胞団により、ソ連との戦いで戦死したムジャヒディンの遺族を支援する慈善団体が作られた。

この団体があれよあれよという間に、新人ムジャヒディンに軍事訓練を施すキャンプに変貌し、やがて1988年にはアフガニスタンのみならず、世界各地に聖戦志願者を送り出す中継センターと化した。

その名を「アルカーイダ」という。 

701: 2014/09/08(月)22:47:17 ID:s7Du8LXJf
サウジアラビアへの米軍駐留を怒る過激派たちはアルカーイダを中心に、アラビア半島や東アフリカなど、各地で対米嫌がらせテロを企画実行し始めた。

いたるところで米軍基地だの大使館だの軍艦だのが爆破される。

アメリカは神経をとがらせ、情報を集め、ついにアルカーイダの存在を突き止めた。


アルカーイダは明確な指揮系統を持つ組織ではないが、豊富な資金力とカリスマ性により、組織全体に強い影響力を持つ黒幕がいた。

彼はサウジアラビアの大富豪の子で、青年時代にムジャヒディンとしてアフガニスタンで戦い、世界各国のムジャヒディンと人脈を築いた。

湾岸戦争後、実家のコネを活かして国王に面会し、「直ちに米軍を追い出すべし!」と直談判。

断られるとサウード王家の政策に反発して自国を出奔。あるいはサウジアラビア政府によって追放されたともいう。

1990年代前半、彼はアフリカのスーダンを拠点に、各地の反米テロを指令し、アルジェリアやバルカン半島の戦場にも

盛んにムジャヒディンを送り込んでいたが、居場所をアメリカに嗅ぎ付けられ、馴染みのアフガニスタンへ居を移した。


そこで黒幕は、カブールを占領するタリバンの客将となる。同じイスラーム原理主義同志で水があったのだろう。

人脈とカネの力を活かし、アルカーイダの黒幕は、ムハンマド・オマル率いるタリバンを次第に乗っ取り始めた。

「オサマ・ビンラディン」というのが、この黒幕の名前である。
 

704: 2014/09/10(水)21:52:11 ID:pfXKbwJ38
1990年代後半。

タリバンにカブールを奪われ、アフガニスタン北部に敗走した軍閥たちは「北部同盟」を結成する。

北部同盟の盟主ともいうべき人物は「パンジシールの獅子」、アフマド・シャー・マスードである。

伝えられるところによれば、どうやらマスードは世界史上でもっとも新しい英雄だったらしい。

彼の故郷は、彼が過酷な対ソ戦のなかで最後まで守り抜いたパンジシール渓谷である。

故郷の人々のために、彼は10度にわたり世界帝国の猛攻を退けた。

もっとも暗い時にはアフガニスタンの国土の9割以上がソ連に屈した。そのとき、パンジシールだけが独立を維持していた。

タリバンがカブールを奪った後、マスードは戦線を押し戻し、カブール市街を射程範囲に抑えた。

しかし彼は市街戦を展開してカブール市民を戦火に巻き込むことを躊躇って兵を引いた。

彼は戦争の天才だったが、流血を好まなかった。

ソ連撤退が決まると、多くの捕虜たちを無条件で解放し、去りゆくソ連軍に対して一切の攻撃を仕掛けることなく見送った。

ソ連兵の中にはマスードの度量にほれ込み、護衛としてマスードのもとに留まる者もいた。


マスードはもともと、大学で建築学を学ぶ純朴な若者だった。

いつか内戦が終わったら大学に戻って建築学を学び直し、荒れ果てた祖国の再建に力を尽くすのが夢だった。

子供たちには人の命を救う医者か教師を目指すことを勧めた。

読書を好み、カブール撤退の際には何千冊もの蔵書を持ち出し、激戦のなかでも深夜まで詩集に読みふけっていた。

多忙を極める日々の中でも、故郷の人々や異国のジャーナリストの前ではいつも気さくだった。

私欲は微塵もなく、無辜の民への暴虐に断固として反対した。

あるとき、マスードの部下のひとりが路傍のトラックから数個のメロンを抜き取った。それを目にしたマスードは、彼から武器を取り上げ、営倉につないでしまった。

彼はアイユーブ朝のサラディンに似ている。

20世紀の黄昏にあって、騎士道精神を貫いた孤高の軍人だったのだ。


アフマド・シャー・マスードがいる限り、タリバンはアフガニスタンを平定できぬ。

タリバンを牛耳るオサマ・ビンラディンはアフガニスタンを統一して純正なるイスラーム国家として確立し、ここを拠点に宿敵アメリカに対する世界的規模での聖戦を開始することを構想した。

2001年夏、オサマ・ビンラディンは2つの指令を下した。

アフマド・シャー・マスードを暗殺する。

そしてアメリカ合衆国中枢部へ、大々的なテロ攻撃を加えるのだ。

705: 2014/09/10(水)22:15:04 ID:pfXKbwJ38
マスードはオサマ・ビンラディンの脅威を感じていた。

2000年、彼は故郷に初めて自分の家を建て、タジキスタンにいた家族を呼び寄せて、15日間だけ一緒に過ごした。

マスードはおそらく自分の死が遠くないことを予感していたのだろう。

その頃、タリバンは動揺の兆しを見せていた。

本来の指導者であるムハンマド・オマルをよそに力を強めるビンラディンと、その取り巻きのアラブ人たちへの反発。

戦場ではいつまでたってもマスードを追い込めない。

タリバン多数派のパシュトゥーン人たちも、しきりに北部同盟に寝返った。

だが、当時アフガニスタンの内戦は世界から忘れられ、北部同盟を本気で支援する国はなかった。

まあ、北部同盟にしてもマスード以外はみんなモヒカン連中なのだが。

2001年4月、マスードは生まれて初めてヨーロッパを訪れた。

「米国を標的にしたテロリズムにはすべてビンラディンが関わっているが、米国は危機の深さも理解せず、対策もしていない」

「米国がパキスタンとビンラディンを止めなければ、遠からず全世界がつけを払うことになるだろう」

「我々は人々を幸せにする平和なイスラーム国家を築きたい。そのためにアフガニスタンを解放したい」

タリバンの危険を訴える彼の声は、ほとんど反響を呼ばなかった。


マスードは間もなく自分が爆発に巻き込まれて死ぬ夢を見た。

ぼろぼろの軍用ヘリコプターが墜落して爆発するのではないか。彼は大切な部下たちを決して自分と同乗させないことにした。


そして8月の終わり。
2人のアラブ人ジャーナリストがマスードに取材を求めた。

多忙を極め、体調も思わしくなかったが、2週間待機させたうえでマスードはようやく取材に応じた。

彼は自由と民主主義を信奉していたから、可能な限りジャーナリストには対応するのが常だった。


9月9日。
取材が始まった直後に記者の持つカメラが爆発し、マスードは殺された。


ビンラディンはマスード暗殺が2週間も遅延したことによって大いに目算が狂った。

マスードを消してアフガニスタンを掌握するという計画が遅延したまま、翌々日に米国中枢へのテロ攻撃が敢行される。

708: 名無しさん@おーぷん 2014/09/10(水)22:35:41 ID:DfkTaMfCs
うあぁぁ 知らなかったけど
調べれば調べるほど英雄じゃないか

惜しい人を亡くしてしまっていたのね

710: 2014/09/10(水)22:44:21 ID:pfXKbwJ38
>>708
アフガニスタンはこの千年で4人の英雄を生んだ。

11世紀にはガズナ朝のマフムード。
16世紀にはスール朝のシェール・シャー。
18世紀にはドゥッラーニー朝のアフマド・シャー・ドゥッラーニー。
20世紀にはアフマド・シャー・マスード。

惜しいね。本当に惜しい。アフガニスタンに必要な人だった。

318px-Massoud-Tomb01
マスードの墓近辺に飾られる肖像画 (photo credit)

グローバル・テロリズムと対テロ戦争


707: 2014/09/10(水)22:34:26 ID:pfXKbwJ38
オサマ・ビンラディンを中心とするアルカーイダは、当初はサウジアラビアからの米軍撤退を要求していただけだったのかもしれない。

だが、思想というのは往々にして自己触媒的に過激化する。

どこまでも純正な原初イスラームを蘇生させようとするワッハーブ主義。

ムスリム同胞団以来の「イスラーム世界復興のためには暴力をも辞さず」という思潮。

イラン・イスラーム革命に端を発した「第二次イスラーム復興」のうねり。

アフガニスタンで燃え上がった「聖戦」のムーブメント。


イスラーム復興運動のなかでも最も原理主義的で過激で暴力的な潮流がアルカーイダのなかで煮詰まり続け、

いまやアルカーイダは世界を、アメリカを中心とする異教徒と、虐げられるイスラーム世界という二極構造でしか捉えられなくなっていたのかもしれない。

アルカーイダは、当の敵たるアメリカが完成したグローバリゼーションの波を逆用し、全世界で欧米諸国に対する「聖戦」を開始することを目論んだ。

具体的な戦術としては大規模な無差別テロを柱とする。

テロによって傲慢な欧米諸国に恐怖を味あわせるとともに、欧米とイスラーム世界の対立を露わにし、眠れるイスラーム世界の大衆を奮起させ、聖戦へ動員する。

その第一歩として、アメリカの経済力、軍事力、政治力の中心部を急襲する。


というわけで2011年9月11日の朝、アルカーイダのテロリストは大型旅客機を乗っ取り、それをまるごと兵器として、世界経済の心臓たるニューヨークの世界貿易センタービル、アメリカの軍事的中枢たる国防総省に突っ込ませた。

アルカーイダによる「グローバル・テロリズム」のネットワークが、世界帝国アメリカに宣戦布告をしたのである。


世界最強の国家を自負してきたアメリカは巨大な衝撃を受け、悲哀の底に沈み、それから激怒した。

宣戦布告は受け入れられ、2000年代の「対テロ戦争」が開始される。

709: 2014/09/10(水)22:40:23 ID:pfXKbwJ38
>>707
また2011年と間違えてしもたわーorz

日本時間2001年9月11日の午後9時54分に、極東某国のネットの海の某巨大掲示板にて生まれた同時代史料
http://www.geocities.jp/mega_fepus/911/news1.txt

712: 2014/09/10(水)23:03:08 ID:pfXKbwJ38

716: 2014/09/14(日)15:18:12 ID:bmZDXsNYj
2011年9月11日の同時多発テロ後、数日のうちにアメリカ政府はテロの首謀者をアルカーイダの首領、オサマ・ビンラディンであると見極めた。

そこでアメリカは、ビンラディンが潜伏するアフガニスタンのタリバン政権に対して、ビンラディン引き渡しを要求。

タリバンは当然これを拒否する。

で、大正義アメリカは力づくでもビンラディンを逮捕すべく、アフガニスタン侵攻を決定した。

国連もアフガニスタン以外のイスラーム諸国も、ほぼ全員一致でこれを支持した。


アメリカは全速力で開戦準備を進め、アフガニスタン空爆のため、中央アジア諸国に駐留を要求した。

そして10月、アメリカはマスード亡きあともタリバンへの抗戦を続ける北部同盟と手を組み、タリバン支配地域への空爆を開始。

タリバン政権はあっさりカブールを捨てて敗走した。

マスードの10年間もの戦いはなんだったのか。さすが大正義アメリカである。


首都を回復し、名実ともにアフガニスタンの正統政府となった北部同盟だが、北部同盟は所詮モヒカン的な軍閥の寄せ集めなので、誰が政権首班となるのかが問題になった。

そこでアメリカは、どこからともなく中立的な「ハミド・カルザイ」なる人物を担ぎ出し、いまだに生きていた元国王のザヒル・シャーを使ってカルザイを権威づけした。

「野郎ども、ゴチャゴチャ言ってないでカルザイに従え!」
「USA! USA! USA!」


だが、アメリカはこれから嫌というほど思い知る。

アフガニスタンが「帝国の墓場」といわれる所以を。

南部に撤退したタリバンはしつこく抵抗し、山の部族たちも政権内部も内輪揉めだらけで纏まらない。

なにより肝心のビンラディンと、タリバン指導者ムハンマド・オマルの行方がまったく分からない。

「考えてみれば戦争目的達成できてないじゃん」
「帰れないじゃん」

これより何年ものあいだ、アメリカはアフガニスタンに大軍を貼りつけ続ける羽目になる。

718: 2014/09/14(日)15:38:33 ID:bmZDXsNYj
やられたらやり返す。倍返しで。

アメリカが対テロ戦争を宣言し、アフガニスタンに侵攻するのと時を同じくして、世界中でイスラーム原理主義過激派によるテロリズムが次々に発生した。

オサマ・ビンラディンの構想した「グローバル・テロリズム」戦略が本格的に始まったのだ。

火の手はまず東南アジアで上がった。

10月28日、フィリピンのミンダナオ島で、現地の過激派「アブ・サヤフ」が診療所や商店街を吹っ飛ばしたのだ。

モンゴル時代からはじまった東南アジアのイスラーム化はフィリピン南部まで達したが、

その後スペインがフィリピン諸島を占領してキリスト教カトリックを布教したため、フィリピン諸島北部のルソン島周辺はキリスト教、南部のミンダナオ島はイスラームに色分けされた。


長らく南部フィリピンのムスリムたちは、キリスト教を奉じる北の政府に抑圧され、独立を求めてきたのだが、第二次イスラーム復興運動のうねりのなかでアルカーイダの影響を受けて過激派が伸長。

このたびオサマ・ビンラディンの「快挙」を目にして奮起し、この挙に及んだのだった。

さらにインドネシアのバリ島や、インドや、北カフカスのチェチェンでもテロが相次ぐ。アフガニスタンは言うまでもない。

2004年3月にはスペインで列車が爆破され、2005年7月にはロンドン市街で同時多発テロが発生するなど、テロの脅威はヨーロッパにも及んだ。


ちょうど欧州各国で中東からの移民が増え、文化や雇用をめぐる衝突が増えてきたこともあって世界的にイスラームとテロを同一視するような言説も広まる。


各地で頻発したテロの多くは、もともと存在した宗教対立や、そもそも宗教とあまり関係のない独立運動がアルカーイダの影響で過激化したものだと思われる。

しかし、実際にアルカーイダと連絡をとり、軍事訓練を受けたうえでテロに走った集団もいくつもあり、もちろん9.11事件と同じくオサマ・ビンラディンないしアルカーイダ中枢部が直接立案指令したテロもあっただろう。

だが、なおもビンラディンの尻尾はつかめない。
焦るアメリカは第二の戦争に踏み切った。

721: 2014/09/14(日)15:55:37 ID:bmZDXsNYj
00年代の対テロ戦争は従来の国家と国家の戦争ではなく、地図上の領土もなければ明確な中心や組織も持たない集団との戦争である。

どこを攻撃すれば効果があるのか。何をもって勝利とするのか。

アメリカは戸惑い恐慌をきたしていた。

いかに多くの兵士を揃えても、いかに強力な武器を整備しても、巨象の体表を這う蟻のようなテロリストの恐怖を消すことはできない。

惑乱しつつアメリカは、「とりあえずテロリストはどこかの国家の支援を受けているに違いないから、その黒幕を倒そう」と考えた。

オサマ・ビンラディンを「匿っている」タリバンを攻撃したのも、この論理によるものである。


アルカーイダの尻尾を掴めないまま世界各地にテロが飛び火するなかで、アメリカは三つの国を「悪の枢軸」として名指しした。

イラク、イラン、北朝鮮である。

アメリカによれば、どうもこの連中がテロリストに武器やカネを流しているっぽい。

というか、この国々自体が国家規模でもテロ集団であるっぽい。

なぜかというと、どうもこいつらは勝手に大量破壊兵器、具体的には核兵器を開発してるっぽいのだ。

もっとも北朝鮮は、どう見てもアルカーイダと大した関係がなさそうだから後回しでいい。

いちばん怪しいのはイラクだ。


アメリカ大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュ(息子)はイラクのサダム・フセイン大統領に恨みがあった。

自分の父親である2代前のジョージ・ブッシュ(親父)大統領をコケにして湾岸戦争をおっぱじめ、

負けた後も核査察を拒否したり、ホテルのロビーの床に父親の顔を描いて客に踏ませたり、せこい嫌がらせを続け、

9.11事件の直後には「アメリカのカウボーイどもがこれまで犯してきた人道に対する犯罪の報いを受けたなど」

意味の分からない戯言をほざいて米国を侮辱した。


アメリカは世界規模で跳梁するテロ集団を追い回すのに疲れていた。

「すべての黒幕はフセインの髭野郎に間違いなし!」
「USA! USA! USA!」

722: 2014/09/14(日)16:11:46 ID:bmZDXsNYj
2002年秋、アメリカは国連を通じてイラクに圧力をかけた。

「大量破壊兵器を開発していることはお見通しだ。制裁を覚悟しろ」

だが、実はフセインは大量破壊兵器の開発などとっくにやめていた。

湾岸戦争であれだけとんでもない損害を出して、その後は経済制裁あん経済制裁。

そりゃあ多少はアメリカに嫌がらせはしたとも。

しかし大量破壊兵器の開発なんてできるカネや技術なんてどこを叩いても残っているわけが。

「隠しても無駄だ。知っているんだよ俺は」
「USA! USA! USA!」


イラクは「悪魔の証明」に追い込まれた。

存在しないモノを存在しないと証明するのは至難である。

イラクはあらゆる資料を提出し、査察もなんでも受け入れた。それでもアメリカは納得しない。

「問答無用。真実はいつもひとつ!」
「USA! USA! USA!」


対テロ戦争と核不拡散という大義名分に加え、国連決議という錦の御旗を手にしたアメリカは、盟邦イギリスとともに、2003年3月19日にイラクに開戦した。


朦朦と吹き荒れる砂嵐が鎮まるのを待ち、米英連合軍がメソポタミアに進撃を開始。

ティグリス河畔でイラク共和国親衛隊バグダード師団を粉砕すると、もはや敵はなかった。

ヒッラに展開しているはずのハンムラビ機械化師団()だのネブカドネザル歩兵師団()だのは戦う前から勝手に融解し、わずか1か月でイラク全土が陥落した。


まさかアメリカがここまで強引に戦争に持ち込むとは予想していなかったフセインはなす術もなく首都を捨てて北部に潜伏していたところを引きずり出されて拘束され、処刑された。


だが、またしてもアメリカは失敗する。

イラクはアフガニスタンを超えるほどの難治の国だった。

ガートルード・ベルがかけた魔術は百年を経て消滅し、抑圧されてきたシーア派とクルド人が権利を主張。

無政府状態となったイラクには、アルカーイダ系のテロ集団や隣国イランの密偵が入り込む。

次から次に自爆テロが発生し、アメリカは泥沼に捉えられた。

なにより、大量破壊兵器が見つからなかった。


「大量破壊兵器があるって言ったのはアメリカだろう! 騙したのか!」

「すまない。どうやら間違えていたようだ」

「間違いですむか!!」

アメリカの信用は失墜し、世界の混迷はなおも深まっていく。

次:part27 イスラエルとパレスチナの対立と分離壁