ポル・ポト
(1928年5月19日 - 1998年4月15日)
カンボジアの政治家。

PolPot


・クメール・ルージュ(ポル・ポト派)の政策
クメール・ルージュは食糧増産を図る為、プノンペンなど大都市住民、資本家、技術者、知識人など知識階級から一切の財産・身分を剥奪し、農村に強制移住させ農業に従事させた。

学校、病院および工場も閉鎖し、銀行業務どころか貨幣そのものを廃止し、宗教を禁止し、一切の私財を没収した。さらに一切の近代科学を否定した。

クメール・ルージュはこれを「階級が消滅した完全な共産主義社会の建設」と称した。

移住させられた人々は、「集団農場」で農業に従事させられる一方、知識人階級は「反乱を起こす可能性がある」とされ殺害された。

戦争で国内が疲弊し海外からの食糧援助がすべて打ち切られた状態の中、クメール・ルージュはソ連やベトナムとも断交し、高度な専門知識、工業、貨幣制度をも否定した。

そして原始共産制社会を理想とする極端な重農政策を強行したが、非現実・非科学的な政策はカンボジア全土に一層深刻な食糧危機をもたらした。

・大量虐殺


この政策は、強制労働および飢饉を通じて、カンボジア人の大量死に至った。

クメール・ルージュ政権は、更に旧政権関係者、富裕層、各種専門家および知識人への関係を持った者および親ベトナム派の党員、ベトナム系住民を殺戮した。

アメリカ国務省、アムネスティ・インターナショナル、イェール大学・カンボジア人大量虐殺プロジェクトの3者は、それぞれ120万人、140万人および170万人と推計している。
これらの機関は内戦時代の爆撃や戦闘による死者数については数字を出していない。  

フィンランド政府の調査団は、ポルポト以前の死者(戦闘・爆撃による)を60万人、ポルポト以後の死者を100万人としている。

カンボジアでは1962年を最後に国勢調査が行われておらず、内戦時代には大量の死者および国内難民が発生しており1975年までの正確な人口動態がつかめていないために、こうした諸推計にも大きく開きが出ている。
 wikipedia


1: 世界@名無史さん 2011/01/26(水) 22:53:24 O
原始共産制を目指してたというけど、なぜそんな極端な理想に走ったのか。
そしてそのために自国民の3分の1を虐殺するとか。
飛躍し過ぎてて良くわからないんですが。
なぜこんな連中が権力を掌握できたのか。

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