part1   イスラム教の始まり〜正統カリフ時代
part2  ウマイヤ朝〜アッバース朝
part3  各地で生まれる地方政権
part4  モンゴル帝国の侵攻とマムルーク朝
part5  オスマン帝国のはじまり
part6  ヨーロッパの反撃
part7  北方で生まれる大国とオスマン帝国の衰退
part8  ムガル帝国の衰退と東南アジアでのイスラム教
part9  アジアを狙う欧州諸国
part10 ナポレオンの東方遠征
part11 エジプトのムハンマド・アリー
part12 オスマン帝国の改革とイスラームの危機
part13 中央アジアを巡る英露のクレートゲームのはじまり
part15 アフガーニーの説くイスラーム復興
part16 存在感を増す新興国たち
part17 第一次世界大戦とオスマン帝国の滅亡
part18 イギリスの三枚舌外交
part19 イランと石油の世紀
part20 英領インド帝国の誕生〜インドの独立
part21 イスラエルの独立宣言

第一次世界大戦後のエジプト



596:  2014/08/25(月)23:29:01 ID:okU1q1yBa
世界大戦が終わった後、しばらくのあいだエジプトが中東における台風の眼になる。
というわけで、エジプトの状況について少し遡ってみる。なお、最新情報は>>369

関連:part15 アフガーニーの説くイスラーム復興


第一次世界大戦の終了後、パリで講和会議が開催される。

このとき、会議には旧オスマン帝国本国のトルコはもとより、英国の肝いりで作られたヒジャーズ王国からも第三王子ファイサルが出席したし、ほとんど戦争に関係なさそうなエチオピアなんぞも招請された。

ところが、エジプトには全く音沙汰なし。


いちおうこの時点でエジプトは独立した国家である。

限りなく英国に従属しているとはいえ、財布も軍隊も英国に握られているとはいえ、それでもムハンマド・アリー朝はまだ存続している。

そのエジプトの存在が列強に完全無視されたことは、エジプト人の誇りをいたく傷つけた。


あのアフガーニーの弟子にしてアブドゥフの同志、ウラービー革命にも参加した筋金入りの愛国政治家サアド・ザグルールが英国高等弁務官のところに乗り込んだ。

「エジプトは独立国家なので、講和会議に代表団を送りたい」

「その代表団とやらはどこにいるのかね。聞いたこともない」

「私が代表になる!」


英国はザグルールたちの出国を許して船に乗せた。

ところが船は何故かあらぬ方向へ進みだし、パリには行かず、英領マルタ島に到着。

着くなりザグルールたちは島の牢獄に放り込まれた。


これを知るやエジプト人たちは大暴動を起こし、全土で反英デモを繰り広げユニオンジャックを掲げた店を片っ端からぶち壊してまわった。


恐れをなしたイギリスは1922年に「わかったわかったエジプトは独立国でちゅねー」と宣言。

ちょうど旧宗主国のオスマン帝国も消えたこととて、これまで「総督」とか「副王」とか呼ばれていたムハンマド・アリー朝の君主は正式に王号を名乗れることになり、「エジプト王国」が成立する。


ただし「独立国同士の対等な条約」により、相変わらずエジプトには英国軍が駐留し、外交も英国がコントロールし、

スエズ運河も英国が管理し、戦時にはエジプトの港湾も飛行場も通信設備も全部英国が自由に使えることになった。

どこが独立国なのかと小一時間。

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