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    以下の記事はコメント欄をまとめています。ご協力よろしくお願い致します(2014.09.07)
    【画像】スペインのガウディ建築の写真をひたすら紹介して行く

    ヤセル・アラファト

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    part1   イスラム教の始まり〜正統カリフ時代
    part2  ウマイヤ朝〜アッバース朝
    part3  各地で生まれる地方政権
    part4  モンゴル帝国の侵攻とマムルーク朝
    part5  オスマン帝国のはじまり
    part6  ヨーロッパの反撃
    part7  北方で生まれる大国とオスマン帝国の衰退
    part8  ムガル帝国の衰退と東南アジアでのイスラム教
    part9  アジアを狙う欧州諸国
    part10 ナポレオンの東方遠征
    part11 エジプトのムハンマド・アリー
    part12 オスマン帝国の改革とイスラームの危機
    part13 中央アジアを巡る英露のクレートゲームのはじまり
    part15 アフガーニーの説くイスラーム復興
    part16 存在感を増す新興国たち
    part17 第一次世界大戦とオスマン帝国の滅亡
    part18 イギリスの三枚舌外交
    part19 イランと石油の世紀
    part20 英領インド帝国の誕生〜インドの独立
    part21 イスラエルの独立宣言
    part22 第一次世界大戦後のエジプトと中東戦争
    part23 イラン革命とシーア派
    part24 イスラム革命後のアフガニスタンと諸国の思惑
    part25 イラン・イラク戦争の終結と湾岸戦争
    part26 グローバル・テロリズムと対テロ戦争

    ナショナリズムとイスラーム世界


    726:  2014/09/14(日)22:33:52 ID:xI78ipou2
    アメリカはアルカーイダの黒幕がアフガニスタンのタリバン政権やイラクのサダム・フセインだと思い込んでいたようだが、

    00年代のグローバル・テロリズムの担い手たちは、もはや特定の国家の利害など眼中にない。

    どうもアメリカはそれがなかなか呑み込めなかったらしい。

    もしかすると呑み込みたくなかったのかもしれない。


    かつて、イスラーム世界に「国家」という概念はなかった。

    イスラーム世界の歴史を語るうえで様々な王国や帝国が登場してきたけど、それらは近現代の国家とは違い あくまでも特定の一族が世俗社会を統治する「王朝」でしかなかった。

    王朝の勢力範囲とは無関係に人は世界を浮遊し、普遍的なイスラーム法学を修めた法官はどこの王朝でも仕官できた。



    近代になると、西洋列強の政治的経済的圧力とともに「ナショナリズム」という新しい世界観がやってきた。

    イスラーム世界の一部の地域、たとえばトルコなどは「ナショナリズム」を取り入れることで西洋の支配を跳ね返し、そこそこ安定した政治とそこそこ豊かな社会を実現できた。

    しかし、中東のアラブ地域ではこれがうまくいかなかった。

    トルコがケマル・アタテュルクの救国戦争によって主体的に領土を画定できたのとは違い、

    中東地域は第一次世界大戦後に欧州列強によって現地事情にお構いなく好き勝手に分断され、その状況のまま第二次世界大戦後になし崩し的に独立していった。

    同じ国家のなかにも多種多様な部族や宗派が混在する一方で、同質の集団が国境で不自然に切り離される。


    1950年代、イスラエルというアラブ諸国共通の敵の出現を機として、エジプトを中心とするアラブ諸国の統一が模索された。

    もともと19世紀のジャマールディーン・アフガーニー以来、イスラーム世界が連帯して西洋に対抗するという理念が存在し続けていた。それがいよいよ現実へ向かうときが訪れたようだった。


    だが、すでに独立国家として歩み始めた各国の利害は噛み合わない。

    まもなくイラクで、汎アラブ主義に背を向けて一国の国益を優先するバアス党が成立する。

    当の盟主たるエジプト自体も、やがて自国の利益のためにイスラエルと単独和平を締結する。

    アラブ統一の挫折後、中東各国は単なる軍事独裁政権の群れと化した。

    人々の生活はなおざりにされ、官界には腐敗が広がった。

    【1がイスラーム世界の歴史についてダラダラ解説 part27 【イスラエルとパレスチナの対立と分離壁】】の続きを読む

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    part1   イスラム教の始まり〜正統カリフ時代
    part2  ウマイヤ朝〜アッバース朝
    part3  各地で生まれる地方政権
    part4  モンゴル帝国の侵攻とマムルーク朝
    part5  オスマン帝国のはじまり
    part6  ヨーロッパの反撃
    part7  北方で生まれる大国とオスマン帝国の衰退
    part8  ムガル帝国の衰退と東南アジアでのイスラム教
    part9  アジアを狙う欧州諸国
    part10 ナポレオンの東方遠征
    part11 エジプトのムハンマド・アリー
    part12 オスマン帝国の改革とイスラームの危機
    part13 中央アジアを巡る英露のクレートゲームのはじまり
    part15 アフガーニーの説くイスラーム復興
    part16 存在感を増す新興国たち
    part17 第一次世界大戦とオスマン帝国の滅亡
    part18 イギリスの三枚舌外交
    part19 イランと石油の世紀
    part20 英領インド帝国の誕生〜インドの独立
    part21 イスラエルの独立宣言

    第一次世界大戦後のエジプト



    596:  2014/08/25(月)23:29:01 ID:okU1q1yBa
    世界大戦が終わった後、しばらくのあいだエジプトが中東における台風の眼になる。
    というわけで、エジプトの状況について少し遡ってみる。なお、最新情報は>>369

    関連:part15 アフガーニーの説くイスラーム復興


    第一次世界大戦の終了後、パリで講和会議が開催される。

    このとき、会議には旧オスマン帝国本国のトルコはもとより、英国の肝いりで作られたヒジャーズ王国からも第三王子ファイサルが出席したし、ほとんど戦争に関係なさそうなエチオピアなんぞも招請された。

    ところが、エジプトには全く音沙汰なし。


    いちおうこの時点でエジプトは独立した国家である。

    限りなく英国に従属しているとはいえ、財布も軍隊も英国に握られているとはいえ、それでもムハンマド・アリー朝はまだ存続している。

    そのエジプトの存在が列強に完全無視されたことは、エジプト人の誇りをいたく傷つけた。


    あのアフガーニーの弟子にしてアブドゥフの同志、ウラービー革命にも参加した筋金入りの愛国政治家サアド・ザグルールが英国高等弁務官のところに乗り込んだ。

    「エジプトは独立国家なので、講和会議に代表団を送りたい」

    「その代表団とやらはどこにいるのかね。聞いたこともない」

    「私が代表になる!」


    英国はザグルールたちの出国を許して船に乗せた。

    ところが船は何故かあらぬ方向へ進みだし、パリには行かず、英領マルタ島に到着。

    着くなりザグルールたちは島の牢獄に放り込まれた。


    これを知るやエジプト人たちは大暴動を起こし、全土で反英デモを繰り広げユニオンジャックを掲げた店を片っ端からぶち壊してまわった。


    恐れをなしたイギリスは1922年に「わかったわかったエジプトは独立国でちゅねー」と宣言。

    ちょうど旧宗主国のオスマン帝国も消えたこととて、これまで「総督」とか「副王」とか呼ばれていたムハンマド・アリー朝の君主は正式に王号を名乗れることになり、「エジプト王国」が成立する。


    ただし「独立国同士の対等な条約」により、相変わらずエジプトには英国軍が駐留し、外交も英国がコントロールし、

    スエズ運河も英国が管理し、戦時にはエジプトの港湾も飛行場も通信設備も全部英国が自由に使えることになった。

    どこが独立国なのかと小一時間。

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