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アギオス・ディミトリオス聖堂内部
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1001: 以下名無しさんに代わりまして管理人がお伝えします  ID:tabisoku.blog.jp
「火葬希望者の葬儀は行わない」 ギリシャ正教会が方針
http://www.afpbb.com/articles/-/3030635
 
記事によると
・ギリシャ正教会は10月31日、火葬は人体を尊重しない弔い方だとして、火葬を希望する人の埋葬式(葬儀)は執り行わない方針を表明

・ギリシャ正教会は「人体の焼却は、文化人類学的・神学的な観点から、正教会の伝統や行動様式に沿ったものとは考えられない」と声明を発表

・2006年にギリシャでは火葬が合法化されたが、市民生活に宗教が根付いておりギリシャ国内に火葬場の建設された例は未だにない。
 
・正教会は、火葬の手順を定めた新法を「虚無主義」の象徴であり「宗教弾圧」と「人体に対する敬意の欠如」だと批判。 

1002: 以下名無しさんに代わりまして管理人がお伝えします  ID:tabisoku.blog.jp
ギリシャ正教会
正教会における独立正教会のひとつ。アテネに大主教座を置き、主としてギリシャ共和国の信徒を管轄する。

ただし、ギリシャ共和国領とは完全には一致せず、クレタ島はコンスタンディヌーポリ総主教庁の管轄下にある。

ギリシャの正教会はローマ帝国時代以来の由緒をもつが、ギリシャ人の居住していたペロポネソス半島からアナトリア半島にかけての地域を管轄する教会は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)に座すコンスタンディヌーポリ総主教のもとにあり、中心地は現在のギリシャの領土内ではなかった。

1453年にコンスタンディヌーポリはイスラム教徒のオスマン帝国の支配下に入り、前後してギリシャ人を含む正教徒の居住地域の多くがオスマン帝国領になったため、オスマン帝国はコンスタンディヌーポリ総主教を保護して国内の正教徒を統制する政策をとった。

 
しかし、19世紀初頭にギリシャ人の民族意識が高まると、1821年にオスマン帝国の意を受けたコンスタンディヌーポリ総主教の慰撫を振り切る形で現在のギリシャの地で民族蜂起が起こり、ギリシャは王国として1830年にオスマン帝国から独立を果たした。

これにともない、新生ギリシャ王国内の正教会は、アテネ大主教を首座として、旧宗主国オスマン帝国の影響下にあるコンスタンディヌーポリ総主教からの教会独立を宣言、1850年に至って総主教の側から承認を受け、相互に独立を承認した教会の関係になった。

ただし、ギリシャ正教会の首座主教は「総主教」ではなく「アテネ大主教」のままである。
wikiepdia
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